ノートが一冊埋まるまで

ガールズイラストレーターtoMokaのブログ

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徳川家康が築城した「駿府城」

 

こんにちは、徳川関連の史跡巡りをしてきた toMokaです。

 

駿府城の歴史や現在の様子などをまとめました!

 

訪れたのは1月下旬なので2ヶ月前のことですが、歴史メインの記事になる予定なので季節に関係なく読める。はずです!

 

 

駿府城の主な出来事

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駿府城(すんぷじょう)

別名 :府中城、静岡城

城郭 :平城

築城 :天正13年(1585年)

築城主:徳川家康

 

今川氏から徳川氏へ

室町時代今川範国駿河守護に命じられ、今川の館を築き今川領として支配をしたことが始まりで隣国、甲斐国の武田氏、相模国の北条氏と同盟を結ぶ。

戦国時代に入ると甲斐を中心に領土拡大を図った武田氏に同盟を解かれ、武田氏の駿河侵略が始まり今川氏は屋敷を追われ、今川領は武田領国化されると支配拠点の一つとなるが天正10年(1582年)に武田氏は織田氏徳川氏により滅亡し、駿河の武田領は徳川氏が領有し徳川氏により駿府城が近代城郭として築城しなおされた。

 

徳川家康 大御所時代

家康が秀忠に将軍職を譲り大御所となってから駿府城へ隠居した。(名目上、頼宣が駿府50万石となっている)

天下普請(てんかぶしん) により大改修され、ほぼ現在の形である三重の堀を持つ輪郭式平城が成立した。

石垣天端で約55mX48mという城郭史上最大であったが慶長12年(1607年)に完成直後の天守や本丸御殿が火災で焼失した。慶長13年(1608年)に本丸御殿と天守などを再建した。

江戸幕府が全国の諸大名に命令し、行わせた土木工事のこと。

江戸期の火災

寛永12年(1635年)の城下の火災が城に延焼し大半が焼失し、寛永(1638年)に御殿、櫓、城門が再建されたが城主がいないため天守は再建されなかった。

 

明治期

明治29年(1896年)歩兵第34連隊の誘致に伴い、本丸堀が埋め立て城郭施設が取り壊される。

 

坤櫓(ひつじさるやぐら)

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平成26年(2014年)に復元された坤櫓の外観。

 

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坤櫓の見どころはこの1階から3階の梁が吹き抜けになっているところです。

伝統的な工法で再現された櫓の構造が見ることができます!

東御門・巽櫓

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東御門・巽櫓は広く、展示されている資料も面白く見応えがありました!

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駿府城の模型。

とっても立派だったことが分かる模型ですね。

近代城郭は石垣や櫓も大きいものが多く優雅でいいですね。

 

でも、中世城郭も好きですよ!

中世城郭(山城)の土塁や堀きり探しも楽しいですよね!!!

 

【中世城郭の関連記事】

www.karappo55.com

 

紅葉山庭園ともみじ亭

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紅葉の季節ではありませんが、それでも美しい庭園でした。

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紅葉庭園内にお茶ができるスペース「もみじ亭」があり、静岡の美味しいお茶と和菓子のセットが楽しめます。

 

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両河内煎茶のセット

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朝比奈玉露のセット

 

こちらは旦那さんが注文。

最中が食べたくてこちらにしたそうです。

 

1月に行ったので温かいお茶がとても美味しく温まりました。

 

徳川家康公の銅像とお手植えのみかん

家康と鷹狩りの話

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抜けるような青空に銅像が映えますね!

徳川家康公は鷹狩りが好きで8歳から19歳まで今川義元に人質時代の唯一の楽しみが鷹狩りだったという話が残っています。

 

徳川家康の逸話

人質時代の唯一の楽しみが鷹狩りだった竹千代(家康の幼名)は孕石元泰(はらいし もとやす)の屋敷に入っていた。竹千代は孕石氏の屋敷の側で鷹を飛ばしていたのですが孕石元泰は大変迷惑に思い事あるごとに家康に悪態を付いていたそうです。

時は流れ、武田勝頼の支城である高天神城を落とした時に敵将の中に孕石元泰が居たそうです。この時に敵方で切腹を命ぜられたのは孕石元泰ただ一人。

30年近く経っていますがきっちりと借りを返した逸話でした。鷹狩りだけに。。

 

お手植えのみかん 

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わかりづらいですが、フェンス内にみかんの木が植わっています。

 

現在も発掘中

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発掘調査も見ることができました。

今回の発掘は2月末まで、次回は5月の連休明けからスタートするそうです。

 

発掘している場所は天守台があったところで、現時点で天守台は西辺約68m×北辺約61mということが判明!広いですね!!

 

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発掘された石垣の一部を間近で見ることができました!

 

駿府城公園内の見どころ

ここまで紹介した櫓など以外での見どころです。

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本丸堀。

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「切込み接ぎ」と「打ち込み接ぎ」のモデル

 

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駿府城公園内から見た富士山。

 

最後に

1月下旬の旅行の記事をようやく書き始めることができました!

予定としては後2記事書く予定です。

 

徳川関連の史跡巡りは縁がなかったのですが、徳川関連の史跡巡りの多ところは「資料が現存している!!」ところですね。分からないことが少ないって凄いなと思いました。

 

今まで石田三成関係の史跡を巡りがメインで、三成関連は資料狩りなどにもあい、だいたい「逸話」や「伝(言い伝えられているだけで確信はなもの)」が多かったので、こんなに資料が残っているのは新鮮でした!

 

とっても楽しかったです!

最後まで読んでくださってありがとうございました。