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ノートが一冊埋まるまで

【伊勢原】旅先で出会った太田道灌の墓所


こんにちは、史跡を見つけるとテンションが上がるtoMokaです。

 

昨日、宮ヶ瀬ダムカレーの記事を書きましたが

宮ヶ瀬ダムの帰りに見つけた史跡をご紹介します!

www.karappo55.com

関東近県でよく史跡を見かける人物の墓所です。

今回の墓所以外にも熱川で、この人物のゆかりの地を発見しました!

 

その人物は「太田道灌(どうかん)」です!

 

 

 

 

太田道灌という人をご存知でしょうか?

太田道灌(どうかん)」として通っていますが名を太田資長(すけなが)といい、室町後期の武将。享徳の乱などで活躍し江戸城の基礎を築き文武共に優れていました。

長尾景春の乱で小机城(横浜市)を落とすときの

「こづくえは まず手習いのはじめにて  いろはにほへとちりぢりとなる」

という歌が有名です。

 

小「机」と「手習い」をかけ「小机城なんて手習いのように簡単に落とせる!」と味方の士気を上げたそうです。この逸話が残っている事からみても頭のいい人だったんでしょうね!

 

小机城は数年前に行ったのですが、今では公園になってます。せっかく有名な場所なのに公園のままって勿体無い気がします。

 

太田道灌墓所

今回、たまたま通りかかったの伊勢原にある大慈寺に寄り道してきました。

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バス停がありその奥に立派な石碑があります。

 

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1枚目の石碑の裏に立っています。

この写真の右奥にある赤い屋根の下に太田道灌墓所があります。

 

道灌はその活躍にも関わらず、主君の扇ガ谷(おうぎがやつ)上杉家に軽んじられたそうです。

文明18年7月26日(新暦1486年8月25日)に扇ガ谷上杉定正に相模糟屋上杉館(※伊勢原市)に招かれ入浴後、お風呂場から出たところを曽我兵庫に襲われ暗殺されたとされています。

道灌は最後に「当方滅亡」(道灌がいなくなれば扇ガ谷上杉家は滅亡するだろう)という言葉を残しています。

道灌の言葉通りになった、とは言いませんが扇ガ谷上杉氏は河越夜戦北条氏綱らに敗れ力を失います。 

道灌の暗殺は力を持ちすぎた道灌の下克上を恐れて仕組まれた、などの説があります。

※扇ガ谷 おうぎがやつ(扇ケ谷、扇谷とも表記されます)

室町時代に関東を納めていた上杉氏。関東管領(かんとうかんれい)山内上杉氏家と合わせて「両上杉氏」と記載されることが多い。 

七人塚

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太田道灌と運命を共にした家臣たちを祀った石碑。

当時、道灌と共にいた家臣の正確な人数は分かっていないそうです。

 

熱川で見つけた道灌ゆかりの地

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熱川の温泉街にある「道灌の湯」。道灌の銅像もあるので気になる方はチェックしてみてください!説明を書くと長くなってしまうので地図のみ載せておきますね。

 

最後に

太田道灌の史跡は旅行中や出かけ先で見つけることが多いので下調べもできないまま、その史跡に行くことになります。後々調べると、すぐ近くにも石碑があったりと、悔しい思いをすることが多いです。

 

こうやって旅先で史跡に出会うことも多いので皆さんもぜひ、探してみてくださいね!!

 

長々と趣味を爆発させてしまいましたが

最後まで読んでくださって、ありがとうございました♪