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ノートが一冊埋まるまで

【相模原】津久井城跡の歴史と見所


こんにちは、軽装で史跡巡りしているtoMokaです。

史跡巡りをする際に山城へ行く事が多く毎回軽装でハイキングしちゃってますが、そろそろ軽装系史跡巡りを卒業したいと思っている今日この頃です。


日本のお城を大まかに分けると「平城」「平山城(丘城)」「山城」とあり、戦国時代の史跡めぐりをすると防御に優れた「山城」が多く標高300m以上の山で史跡巡りのハイキングとなります。

 

山城で登るのが大変だった城は滋賀県の「観音寺城址」でした。繖山(きぬがさやま)の中腹にあるのですがを繖山は標高433mあり軽装で行って後悔しました。

 

今回訪れた「津久井城跡(城山)」も急勾配で思ったより大変でした。

 

 

津久井城址の場所と周辺

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津久井湖にある「山城ダム」

 

相模国の西北に位置し、西方には甲斐国、北方に武蔵国があり交通の要にもなっていた場所。戦国時代では甲斐の武田軍と北条氏がしのぎを削った地でもあります。

 

津久井湖のほとりの「城山」にある山城です。(テキストに起こすとややこしい)


JR橋本駅からバスでも行け、車の場合は駐車場が無料なので良心的でした。
山の麓にはバーベキュー場があり史跡巡りに関係なく楽しめるスポットもあります。※バーベキュー場はネット予約が必須

 

津久井城の主な歴史

 

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津久井は甲斐と小田原を繋ぐ要でした。

鎌倉時代三浦半島に勢力を持っていた三浦党の筑井氏(津久井氏)が築城したと言われている。

本格的に城として使われたのは戦国時代の後北条氏からで、甲斐国相模国小田原を繋ぐ要として後北条氏甲斐国の武田軍に備え、内藤氏を城主据え有力な支城としての役割を担っていた。

しかし実際には「※敵半地」となっていました。
※敵半地とは国境地帯にある場所で年貢などを双方に納める代わりに両勢力から攻撃などをしないという約束を取り付けていた地帯のこと。

 

小田原の役から廃城

天正18年(1580年)豊臣秀吉小田原征伐の際、城主は内藤影豊でしたが、影豊は小田原城におり実際は老臣たちが守っていたが徳川家康軍の平岩親吉らの攻撃により開城し廃城となり、領地は徳川が納める。

 

津久井城址(城山)の見所

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ミササビも生息しているくらい自然が豊かな城山の標高は375mありハイキングコースも整備されているので安心して登ることができます。ハイキングコースには鎖場があったり急斜面な道もあります。
津久井湖には城山ダムやバーベキュー場があるので周辺含めて散策すると楽しいです。

 

宝ヶ池

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水が枯れた事がないと言われている宝ヶ池。

飯綱神社 

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飯綱曲輪(くるわ)にある飯綱神社。

津久井城の守護として筑井氏(津久井氏)が1197年(建久8年)に勧請したそうです。

 

空堀(堀切)

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曳き橋跡につながる堀切。

堀切だけでなく土塁も残っているので、見ていて楽しかったです。

最後に

津久井湖は知られていますが津久井城はあまり知られていないので記事にしてみました!

武田信玄が描かれたお話(三増峠の戦いあたり)でも出てくるお城なので、歴史が好きな方は知っているかもしれませんね♪

神奈川県には信玄ゆかりの地があったり、関東管領を相続した時に上杉謙信が鎌倉の鶴岡八幡宮で拝賀の儀を行ったなど、有名な武将のゆかりの地も多くあるので少しずつ紹介してたいと思っています。

 

趣味丸出しの記事を
最後まで読んでくださって、ありがとうございました♪